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フランスの安楽死問題
月曜日なのでインクが手に入らなかったこと、チューリップの咲く庭園、日仏交流150周年の盆栽展、52歳の女性の裁判をきっかけにフランスで議論が起こっている安楽死の問題について。
アンカー葛西聖司さん:今夜はフランス・パリからジャーナリストの浅野素女さんです。こんばんわ。
こんばんわ。
アンカー:いつもはたくさんメモを頂くんですが、今日はなんか故障があったんですって?
そうです。プリンターのインクが切れてしまったので、昔ながらといいますか、つい最近までファックスでよくやり取りしていましたけれど、手書きのファックスで失礼しました。
アンカー:手書きの字がパリから渡ってきたと思うと凄くありがたいし、今でも不思議なんですよね、こういうものが。国内でもなんとなくピンとこないんですけれども(笑)
今は携帯、メールで済んでしまうことが多いですもんね。手書きというのはむしろ貴重になっているのかもしれませんね。
アンカー:でも、準備万端の浅野さんでもインク切れっていうことがあるんですね。
失礼しました(笑)
アンカー:いえいえ。滅多に無いことですよね。
今日は月曜日なんですが、月曜日ですと商店街はお休みの所が結構あるんですね。それで、ちょっと手に入らなかったというところもあるんです。
アンカー:コンビニがある日本と違うところですね。
違いますねえ。
アンカー:そのパリのお天気はどうでしょう。
今日も寒いといいますか、まだ昼間でもまだ12、13度なんですね。うちの庭には八重桜があるんですけれども、その桜は満開で、今がすっかり見ごろなんです。
雨が降ったり、風も冷たく、あられなどが急に落ちてきたり、どうもせわしない天気ですね。
アンカー:だいたい4月というと、そんな感じなんですか。
はい。4月はまだまだ寒いという感じで。
まあ、でも花々は結構咲いていまして、この週末もパリに隣接する、花でとても名高い庭園へ出かけてきたんですが、チューリップなどは何十種類も綺麗に咲いていました。
アンカー:へぇ。
今年は実は日仏交流150周年を記念の年なんですけれども、各地でいろいろな催しが行われまして、この庭園では来月になりますと日本からサツキの盆栽が来まして「盆栽展」というのがその公園で予定されているんですよ。
アンカー:ああ。盆栽は今世界で人気がありますし、日本の文化の一つになっていますもんね。
そうですね。フランスでもとても人気がありまして、そこの庭園では一角が盆栽のコーナーになっています。
アンカー:日仏交流150年で、歌舞伎の中村福助さんが先月の末そちらに行って、帰ってらして、日本でも基調講演をなさっていました。
ああ、いろいろな催し物があって、盛りだくさんでしたよね。
アンカー:その庭園というのは有名な庭園、何か名前が付いているんですか。
はい。パリのすぐそばで、直訳すれば花公園というんですがね。バンセンヌ(Vincennes)の森の中にあるんです。春になると皆、その辺にお散歩に行く所なんです。
アンカー:寒いといっても、やっぱり日差しを感じて咲き乱れてくるわけなんですね。
そうですね。
アンカー:それはチューリップなんですか。だいたいは。
ええ。今はチューリップが素晴らしかったですね。
アンカー:フランス語でチューリップって、やっぱりチューリップなんですかね。
チューリップはチューリップなんです。
アンカー:失礼しました(笑)。では、今日のメインのテーマを教えてください。
今日のテーマは重いテーマなんですが、尊厳死という問題なんです。フランスでは、ちょうど1ヶ月ほど前にある事件がありました。
シャンタル・セビール(シャンタル・セビル、Chantal Sebire)さんという52歳の女性が、尊厳死といいますか、安楽死の権利を求めて裁判に訴えました。
結局、その願いは叶えられず裁判所は却下したんです。
フランスでは、安楽死を医者がするということは、自殺ほう助罪になってしまいます。
ヨーロッパではオランダですとか、ベルギー、スイス、ルクセンブルクでも安楽死は認められているんですが、フランスはそれには一線を画しているんですね。
アンカー:ベネルクス三国という所ですよね。
そうですね。
アンカー:52歳って若いんですが、ご病気か何かだったんですか。
はい。とても特殊な進行性の不治の病で、鼻腔、鼻の裏の周辺に腫瘍を抱えて、それがだんだん大きくなってしまって。
アンカー:ああ、報道されていましたね。
もう本当に、見る影もない容貌になってしまっていた方なんですね。それも、非常な苦痛を伴う病気で治療法もないと。おまけに味覚も臭覚も視覚も失ってしまって、なすすべも無く死を待つばかりの状態だったわけですね。
アンカー:ご家族の方も一緒に、これを訴えられていましたよね。
そうですね。家族のために尊厳を持って死んでいきたいというようなことも仰っていました。
この事件を機にフランス中で議論が沸騰して、今に至っているわけです。
フランスでは2003年にもう一件大きな、やはり事件がありまして、この時は四肢麻痺の青年の安楽死問題を巡ってだったんです。その時の議論の結論として、一応、2005年に法律ができたんです。
その法律では、あらゆる人が末期医療を受けることを権利として認められ、もう一つは治療を施してもあまり意味がないというような状態になった時に、本人が望めば、やめてもらえる権利があると認められています。
例えば、過剰医療、今は医療が発達していますから、本当に必要なのか分らない医療を受けることになってしまって、かえって苦しんでいる人もいますよね。それを本人がやめたいと言えば、やめてもらえる権利があるわけです。しかも、食事や水の摂取も自分でできないような時に、それも拒否していいとされています。そういう患者の権利が大幅に認められたんですね。
それ(過剰な延命医療を拒否すること)はつまり、命を絶とうと思って、積極的に安楽死を施すのとは違ったあり方ですよね。受け身ではあるけれども、死がやってくるのを受け入れるというか。そうした結果になるわけですよね。
ですから、フランスの姿勢としては、医者というのはやはり治療する、あくまで生きさせようとするのが仕事であり、言葉は悪いですが、人を殺すことに加担はしないんです。いろいろなアンケートをみましても、お医者様、医療関係者の多くは、やはりそうした立場なんですね。
アンカー:ええ。医療は困っている人を助ける、少なくとも希望があれば「命をつなぐ」というところが大前提ですもんね。
そうですね。
ただ、フランスでも安楽死を尊厳死として認めて欲しいという市民団体の声が非常にあります。
今回のシャンタルさんも、そうした団体の援助を受けて、最後の力を振り絞ってテレビ取材なども受けまして「私のような例外的なケースに限って安楽死を認めてくれ」と、そうした権利を訴えてきたわけです。
アンカー:そのことも大変勇気のある行動でしたよね。
そうですね。
2005年に末期患者の権利というものがだいぶ拡大されたんですけれども、どうして現実にうまくいっていないかといいますと、絶対的に末期医療用の特別な施設というのが、フランスでも足りていないためなんですね。
あらゆる人が末期医療を受ける権利があり、そして、身体的な苦痛は解消できるように苦痛を和らげるための薬物投与はお医者様にも許可されるんです。たとえそれで命を縮める結果になっても、患者さん、また家族の合意があればそうした薬を投与していいとされています。でも、それはまた積極的に、ここまでで死ぬことにしましょう、ということとは全く違うわけですよね。
本当に生と死というのは灰色の部分があって、その灰色ゾーンというのを医者も患者も、どこでどうするかという判断に苦しむわけです。法律がどんな形であっても結局、その点というのは変わらないのかも知れないですよね。
アンカー:誰が判断するのか。自分の命を自分でどうこう出来るのか。本当に最終的な人間の考え方のところですよね。
そうなんです。ですから議論をしていきますと、非常に広がりがありまして、自分の命っていうのは自分のものなのか、ということですよね。
自分の命に対して、私たちは絶対的な権利があるのか、もちろん自殺というのはできるわけですけれども、その自殺を助けてくださいと言えるのか、そうしたことを要求できるのか、というのは宗教的、哲学的な広がりを持つ問題でもありますよね。
アンカー:2005年に法律ができたといっても、まだその先に踏み出すことが大変難しいし、実際に認めている国でも、そのケース・ケースでいろんな難しさがあるんでしょうね。
そうなんです。今回の事件がきっかけでですね、政府は2005年の法律をもう一度検討し直して、何が足りないのか、何を補足すべきなのか、シャンタルさんのような例外的なケースの場合は、安楽死の例外的処置を認める装置を作るべきなのか、そうしたことも含めて今、諮問委員会が組まれて調査が進められているんですね。
ですから、いい方向に行けばいいと思うんですが、むしろその死ぬ権利如何(いかん)というよりも、末期医療をいかに充実させて、死にたいと思わせないような設備、人的な援助ができるような方向へ行って欲しいですよね。
アンカー:あの、日本語では尊厳死、尊厳という言葉はとても重い意味があります。また、イコールで安楽死、安楽という、これは救いのあるような言葉に置き換えられているんですが、フランスではどういう意味で使うんですか。
尊厳死といいますと、もっと広い意味ですよね。非常にその解釈が難しくて、尊厳を持って死ぬということがどこまでか、尊厳とは何か、ということは実に深遠な問題ですよね。
ベルギーやオランダで認められている安楽死という場合は、フランス語でユータナジー(Euthanasie)というんですが、もともとの語源をたどりますと「幸福な死」という意味があるそうです。でも、現代の言葉のニュアンスとしては、いかに苦しまないで、苦しみを少なくして死を迎えるかということになりますね。
アンカー:まあ医療、科学が進んでいるからこそ、寿命が延びているという恩恵はあるものの、その逆の部分もあって、今までにない病もたくさん出てくるということですよね。
そうですよね。
アンカー:ですから、本当に議論を重ねていかなきゃいけないってことですよね。
特に安楽死の問題というのは、感情論に流されがちになりますし、シャンタルさんのように本当に大変な思いをされてね、女性でもありますし、そうした映像がテレビで流れますと 「わー、私だったらとても生きていけない」 と、感情につい訴えてしまうんですよね。
そこをいかに客観的にどうやって社会として線引きをするのか、ということを考えることは、わりと難しいことですね。
アンカー:自分のことに置き換えて常に考えていくということですね。ありがとうございました。
どうも失礼いたします。
15日放送フランス・パリから浅野素女さんのレポート
アンカー葛西聖司さん:今夜はフランス・パリからジャーナリストの浅野素女さんです。こんばんわ。
こんばんわ。
アンカー:いつもはたくさんメモを頂くんですが、今日はなんか故障があったんですって?
そうです。プリンターのインクが切れてしまったので、昔ながらといいますか、つい最近までファックスでよくやり取りしていましたけれど、手書きのファックスで失礼しました。
アンカー:手書きの字がパリから渡ってきたと思うと凄くありがたいし、今でも不思議なんですよね、こういうものが。国内でもなんとなくピンとこないんですけれども(笑)
今は携帯、メールで済んでしまうことが多いですもんね。手書きというのはむしろ貴重になっているのかもしれませんね。
アンカー:でも、準備万端の浅野さんでもインク切れっていうことがあるんですね。
失礼しました(笑)
アンカー:いえいえ。滅多に無いことですよね。
今日は月曜日なんですが、月曜日ですと商店街はお休みの所が結構あるんですね。それで、ちょっと手に入らなかったというところもあるんです。
アンカー:コンビニがある日本と違うところですね。
違いますねえ。
アンカー:そのパリのお天気はどうでしょう。
今日も寒いといいますか、まだ昼間でもまだ12、13度なんですね。うちの庭には八重桜があるんですけれども、その桜は満開で、今がすっかり見ごろなんです。
雨が降ったり、風も冷たく、あられなどが急に落ちてきたり、どうもせわしない天気ですね。
アンカー:だいたい4月というと、そんな感じなんですか。
はい。4月はまだまだ寒いという感じで。
まあ、でも花々は結構咲いていまして、この週末もパリに隣接する、花でとても名高い庭園へ出かけてきたんですが、チューリップなどは何十種類も綺麗に咲いていました。
アンカー:へぇ。
今年は実は日仏交流150周年を記念の年なんですけれども、各地でいろいろな催しが行われまして、この庭園では来月になりますと日本からサツキの盆栽が来まして「盆栽展」というのがその公園で予定されているんですよ。
アンカー:ああ。盆栽は今世界で人気がありますし、日本の文化の一つになっていますもんね。
そうですね。フランスでもとても人気がありまして、そこの庭園では一角が盆栽のコーナーになっています。
アンカー:日仏交流150年で、歌舞伎の中村福助さんが先月の末そちらに行って、帰ってらして、日本でも基調講演をなさっていました。
ああ、いろいろな催し物があって、盛りだくさんでしたよね。
アンカー:その庭園というのは有名な庭園、何か名前が付いているんですか。
はい。パリのすぐそばで、直訳すれば花公園というんですがね。バンセンヌ(Vincennes)の森の中にあるんです。春になると皆、その辺にお散歩に行く所なんです。
アンカー:寒いといっても、やっぱり日差しを感じて咲き乱れてくるわけなんですね。
そうですね。
アンカー:それはチューリップなんですか。だいたいは。
ええ。今はチューリップが素晴らしかったですね。
アンカー:フランス語でチューリップって、やっぱりチューリップなんですかね。
チューリップはチューリップなんです。
アンカー:失礼しました(笑)。では、今日のメインのテーマを教えてください。
今日のテーマは重いテーマなんですが、尊厳死という問題なんです。フランスでは、ちょうど1ヶ月ほど前にある事件がありました。
シャンタル・セビール(シャンタル・セビル、Chantal Sebire)さんという52歳の女性が、尊厳死といいますか、安楽死の権利を求めて裁判に訴えました。
結局、その願いは叶えられず裁判所は却下したんです。
フランスでは、安楽死を医者がするということは、自殺ほう助罪になってしまいます。
ヨーロッパではオランダですとか、ベルギー、スイス、ルクセンブルクでも安楽死は認められているんですが、フランスはそれには一線を画しているんですね。
アンカー:ベネルクス三国という所ですよね。
そうですね。
アンカー:52歳って若いんですが、ご病気か何かだったんですか。
はい。とても特殊な進行性の不治の病で、鼻腔、鼻の裏の周辺に腫瘍を抱えて、それがだんだん大きくなってしまって。
アンカー:ああ、報道されていましたね。
もう本当に、見る影もない容貌になってしまっていた方なんですね。それも、非常な苦痛を伴う病気で治療法もないと。おまけに味覚も臭覚も視覚も失ってしまって、なすすべも無く死を待つばかりの状態だったわけですね。
アンカー:ご家族の方も一緒に、これを訴えられていましたよね。
そうですね。家族のために尊厳を持って死んでいきたいというようなことも仰っていました。
この事件を機にフランス中で議論が沸騰して、今に至っているわけです。
フランスでは2003年にもう一件大きな、やはり事件がありまして、この時は四肢麻痺の青年の安楽死問題を巡ってだったんです。その時の議論の結論として、一応、2005年に法律ができたんです。
その法律では、あらゆる人が末期医療を受けることを権利として認められ、もう一つは治療を施してもあまり意味がないというような状態になった時に、本人が望めば、やめてもらえる権利があると認められています。
例えば、過剰医療、今は医療が発達していますから、本当に必要なのか分らない医療を受けることになってしまって、かえって苦しんでいる人もいますよね。それを本人がやめたいと言えば、やめてもらえる権利があるわけです。しかも、食事や水の摂取も自分でできないような時に、それも拒否していいとされています。そういう患者の権利が大幅に認められたんですね。
それ(過剰な延命医療を拒否すること)はつまり、命を絶とうと思って、積極的に安楽死を施すのとは違ったあり方ですよね。受け身ではあるけれども、死がやってくるのを受け入れるというか。そうした結果になるわけですよね。
ですから、フランスの姿勢としては、医者というのはやはり治療する、あくまで生きさせようとするのが仕事であり、言葉は悪いですが、人を殺すことに加担はしないんです。いろいろなアンケートをみましても、お医者様、医療関係者の多くは、やはりそうした立場なんですね。
アンカー:ええ。医療は困っている人を助ける、少なくとも希望があれば「命をつなぐ」というところが大前提ですもんね。
そうですね。
ただ、フランスでも安楽死を尊厳死として認めて欲しいという市民団体の声が非常にあります。
今回のシャンタルさんも、そうした団体の援助を受けて、最後の力を振り絞ってテレビ取材なども受けまして「私のような例外的なケースに限って安楽死を認めてくれ」と、そうした権利を訴えてきたわけです。
アンカー:そのことも大変勇気のある行動でしたよね。
そうですね。
2005年に末期患者の権利というものがだいぶ拡大されたんですけれども、どうして現実にうまくいっていないかといいますと、絶対的に末期医療用の特別な施設というのが、フランスでも足りていないためなんですね。
あらゆる人が末期医療を受ける権利があり、そして、身体的な苦痛は解消できるように苦痛を和らげるための薬物投与はお医者様にも許可されるんです。たとえそれで命を縮める結果になっても、患者さん、また家族の合意があればそうした薬を投与していいとされています。でも、それはまた積極的に、ここまでで死ぬことにしましょう、ということとは全く違うわけですよね。
本当に生と死というのは灰色の部分があって、その灰色ゾーンというのを医者も患者も、どこでどうするかという判断に苦しむわけです。法律がどんな形であっても結局、その点というのは変わらないのかも知れないですよね。
アンカー:誰が判断するのか。自分の命を自分でどうこう出来るのか。本当に最終的な人間の考え方のところですよね。
そうなんです。ですから議論をしていきますと、非常に広がりがありまして、自分の命っていうのは自分のものなのか、ということですよね。
自分の命に対して、私たちは絶対的な権利があるのか、もちろん自殺というのはできるわけですけれども、その自殺を助けてくださいと言えるのか、そうしたことを要求できるのか、というのは宗教的、哲学的な広がりを持つ問題でもありますよね。
アンカー:2005年に法律ができたといっても、まだその先に踏み出すことが大変難しいし、実際に認めている国でも、そのケース・ケースでいろんな難しさがあるんでしょうね。
そうなんです。今回の事件がきっかけでですね、政府は2005年の法律をもう一度検討し直して、何が足りないのか、何を補足すべきなのか、シャンタルさんのような例外的なケースの場合は、安楽死の例外的処置を認める装置を作るべきなのか、そうしたことも含めて今、諮問委員会が組まれて調査が進められているんですね。
ですから、いい方向に行けばいいと思うんですが、むしろその死ぬ権利如何(いかん)というよりも、末期医療をいかに充実させて、死にたいと思わせないような設備、人的な援助ができるような方向へ行って欲しいですよね。
アンカー:あの、日本語では尊厳死、尊厳という言葉はとても重い意味があります。また、イコールで安楽死、安楽という、これは救いのあるような言葉に置き換えられているんですが、フランスではどういう意味で使うんですか。
尊厳死といいますと、もっと広い意味ですよね。非常にその解釈が難しくて、尊厳を持って死ぬということがどこまでか、尊厳とは何か、ということは実に深遠な問題ですよね。
ベルギーやオランダで認められている安楽死という場合は、フランス語でユータナジー(Euthanasie)というんですが、もともとの語源をたどりますと「幸福な死」という意味があるそうです。でも、現代の言葉のニュアンスとしては、いかに苦しまないで、苦しみを少なくして死を迎えるかということになりますね。
アンカー:まあ医療、科学が進んでいるからこそ、寿命が延びているという恩恵はあるものの、その逆の部分もあって、今までにない病もたくさん出てくるということですよね。
そうですよね。
アンカー:ですから、本当に議論を重ねていかなきゃいけないってことですよね。
特に安楽死の問題というのは、感情論に流されがちになりますし、シャンタルさんのように本当に大変な思いをされてね、女性でもありますし、そうした映像がテレビで流れますと 「わー、私だったらとても生きていけない」 と、感情につい訴えてしまうんですよね。
そこをいかに客観的にどうやって社会として線引きをするのか、ということを考えることは、わりと難しいことですね。
アンカー:自分のことに置き換えて常に考えていくということですね。ありがとうございました。
どうも失礼いたします。
15日放送フランス・パリから浅野素女さんのレポート
- 今回は私には難しいお話でした。フランスでは、これまで治療を中止する安楽死は認められていたのですが、薬などで死を早める安楽死は禁止されていたようです。シャンタルさんは亡くなられたそうですが、そのことをきっかけに薬などで死を早める安楽死についても、法律を検討し直すことになりそうだというお話だと思います。「消極的な安楽死」と、「積極的な安楽死」などという言い方もあります。(編者)
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